「マージナルマン」のそれぞれの学問での用法

「マージナルマン」といえば境界人と訳され青年期を表す心理学の用語として広く知られている。こう使ったのは心理学者のレヴィン。「子供じゃないけど大人でもない!」という所属が不明確な青い時期を指し、ブルーハーツなんかの青春パンクのテーマにもよくなっている。

ところでこのマージナルマン、学問分野によって違った使われ方がされる。

史学(日本史)では倭寇を指す。
倭寇をマージナルマンと呼んだのは、中世史家の村井章介倭寇を構成するのは日本人・中国人・朝鮮人と様々で、その活動範囲は国家の枠組みを越える。このように倭寇は「海」をクニとしたことから、彼らを「境界に生きる人々」とした。倭寇を「〜人」とくくるのはナンセンスだと言いたいのだろう。

経済学ではマージナルマンがまた違った意味で使われるが、ややこしくなるので割愛する。

元を辿れば社会学者のロバート・E・パークが創った造語。これが様々な学問に応用されていて中々おもしろい。
社会学から心理学・史学・経済学、学問領域を横断して使われるマージナルマンはなんともキャッチーな言葉です。

目に余る「重商主義」の誤用

日本史の文脈の中で「重商主義」ほど誤用されている経済用語はない。

重商主義を採った人物として"有名"なのが織田信長徳川宗春徳川宗春尾張藩主で、徳川吉宗の緊縮財政(享保の改革)に対抗し、ぜいたく奨励の放漫財政を採ったことで知られる。(ためしに「織田信長 重商主義」「徳川宗春 重商主義」でggってみるといい。そりゃもうたくさんHITする)

この2人は、農本主義が根強い時代にあって商業振興政策を促進させたという点で共通する。農業の時代にあって"商"業を"重"視したから、重商主義と言いたいのだろうか。

しかしハッキリ言っておくが、織田信長徳川宗春も断じて重商主義ではない。
そう評する人はこの経済用語の意味を全く理解していないのだ。

重商主義とは本来、貿易差額によって国富を増大させることを言う。簡単にいえば、貿易黒字を目指すということだ。

なので、徳川宗春が生きた鎖国時代では重商主義の概念すら起こり得ない。織田信長は対外貿易をしたが、楽市楽座などの商業振興政策は、あくまで日本国内で完結するものであり貿易とは直接的な関係はない。

さらに言えば、重商主義を自由な経済といったニュアンスで捉える人も多いが、これもまた間違いである。意図的に貿易黒字を目指すということは、貿易を統制することに他ならないからだ。これについてはアダム・スミスなど著名な経済学者が批判している。何なら重商主義への批判が経済学の端を切ったとも言っても過言ではない。


ということで、重商主義の誤用と正しい使い方についてでした。
詳しく知りたい!って人は下の本がガチでオススメです。経済学の基本からアメリカ独立戦争の歴史的経緯も学べます。

「だまし討ち」の日本史

蝦夷(エミシ)・アテルイの戦い―大和朝廷を震撼させた (遙かなる縄文の風景)

蝦夷(エミシ)・アテルイの戦い―大和朝廷を震撼させた (遙かなる縄文の風景)

久慈力『蝦夷アテルイの戦い』でトンチンカンな解釈があったので紹介しておく。
なぜ"トンチンカン"なのかというと、この本は幾分「蝦夷びいき」を以て書かれているのだが、彼らの弁護が弁護になっていない解釈があったからだ。今回はそれを紹介する。


蝦夷の族長アテルイとモレは兵500と共に大和朝廷に降伏し、坂上田村麻呂の助命嘆願もむなしく斬首されてしまった」というのが僕たちが習う歴史である。

氏はこれを朝廷側の美談捏造とし「"講話のために"やってきたアテルイとモレを田村麻呂と桓武がだまし討ちにした」と解釈する。要するに、朝廷は老獪だ・蝦夷は負けていないと言いたいらしい。(その論拠を知りたい人は著作の第13章を参照にしてね)

蝦夷びいきの判官びいきな感が否めないが、この解釈はかえって「蝦夷の政治オンチ」を証明することとなり、彼らの弁護にすらなっていない。なぜなら、敵の本拠地にたった兵500で行っても殺されるに決まっているからである。殺害後は、史書をちゃちゃっと改ざんすればあら不思議。田村麻呂を義理堅い武人に仕上げ、桓武蝦夷征伐成功者に仕立て上げることなんていとも簡単なことだ。アテルイの上洛はまさに鴨が葱を背負って来る格好、わざわざ敵に功をあげる与える愚挙以外のなにものでもない。

しかし、そもそも「だまし討ち」が悪いことなのかというのも疑問だ。
悪いという人は、現代の倫理観で歴史をみている。

俗説通り「蝦夷が降伏した」としようが新説通り「だまし討ちにあった」としようが、アテルイが殺された結果は変わらない。むしろだまし討ちで負ける方が情けないだろう。


ところで、こうのような「だまし討ち」は日本史上多々みられるので二つばかり紹介したい。

まずは、だまし討ちが日常茶飯事だった戦国時代の中でも僕が最も"美しい"と思うもの、織田信長の父である織田信秀による「那古野城奪取」。名門今川家の一門・今川氏豊の居城・那古野城を、信秀は如何にして奪ったのか?

まず信秀は、氏豊が連歌を非常に好むことに眼を付け、彼が城内で主催する連歌会に足しげく通い信頼を獲得することから始める。そうこうしている内に城内の出入りを許された信秀は、ある日突然"病で"倒れてしまう。「家臣に遺言を頼みたい」と言った時点で計略は成功。氏豊は信秀を信じきって家臣の侵入を許してしまう。そしてまんまと侵入した信秀軍は城を放火、いとも簡単に那古野城を奪取してしまったのだ。

まさに天衣無縫のだまし討ち。
こうして奪った那古野城は後に息子の信長に引き継がれ、彼の天下統一事業における根拠地の一つとなる。


次に、江戸時代に北海道を治めていた松前藩による「シャクシャイン殺害」。

1669年、和人との交易を独占する松前藩に対しアイヌの首長シャクシャインは蜂起した。アイヌの徹底抗戦に頭を悩ませた松前藩は講話を持ちかけ、まんまとそれに乗っかってしまったシャクシャインを講話の席で殺したのだ。指導者を失った後のアイヌ軍は崩壊してしまい、これを機に松前藩は彼らへの圧迫を強めて行った。

これは、先に述べた「アテルイだまし討ち」に非常に似ている。すなわち、異民族(蝦夷/アイヌ)が中央権力による「だまし討ち」に会う。これらのエピソードは、何も剣と剣を交える白兵戦だけが戦争ではないのを物語っている。



ということで、今回は「だまし討ち」について書いた。

「だまし討ち」によって、信秀は信長のスタートダッシュに大いに貢献したし、松前藩はさらなる交易権の独占に成功した。また久慈力の「アテルイはだまし討ちにあった」という説から、目的を達成した後は手段を捏造することすら出来ることが歴史から分かったと思う。

Amazonで中古を買うときに覚悟しておくべきこと。

僕にとってAmazonの最大の魅力は中古品の安さだ。

定価が3000円くらいの本が1円なんてこともザラ。「1円とか安すぎ…なんか怖い」なんて思われる人もいるかもしれないが、そこはご安心を。ヤフオクのように評価の高い出品者を選べば何ら問題はなく、ブック○フくらいの品質の物が送られてくる。僕自身今まで20冊くらい1円本を高評価の出品者から買ったが、「金返せ!」とも「所詮は1円か…」とも思ったことがない。


しかし贅沢な悩みではあるが、中古を頼むと少しばかりイライラさせられることもある。

その一つが"遅配"。
Amazonの在庫を注文すると、大体翌日には届けられるが中古だとそうはいかない。また僕を例にだすと、6月2日に七冊(内中古六冊)注文して5日午前現在で届いたのは新品の一冊。、出展者が発送するのでまぁ仕方ないことではあるが、六冊を併読したいだけにちょっとストレスフルだ。Amazonの速さに慣れると正直少し不満に思ってしまう。


次に送料。
たとえば今回僕が中古品六点に使った2,603円の内、送料は1,800円。250円の送料を六回とられている。
これは買い物額の70%を送料が占める。もはや関税並の比率。(cf:自動車の関税が70%だよ!)


ということで、Amazonについての贅沢な悩みでした。
いくら便利な社会になったとはいえ、さらなる便利さを求めちゃうもんすな。


ちなみに注文した本はコチラです↓

尻啖え孫市 (講談社文庫)
司馬 遼太郎

国友鉄砲の歴史 (別冊淡海文庫)
湯次 行孝

海外貿易から読む戦国時代 (PHP新書)
武光 誠

大阪と堺 (岩波文庫)
三浦 周行, 朝尾 直弘

蝦夷(エミシ)・アテルイの戦い―大和朝廷を震撼させた (遙かなる縄文の風景)
久慈 力

もののけ姫』の秘密―遙かなる縄文の風景 (遥かなる縄文の風景)
久慈 力

もののけ姫研究序説―「アニメ」ではなく「アニメーション」として
後藤 毅, 黒田 光洋

もののけ姫』の舞台である室町末期関連を中心に買った。
どっちかだけだと飽きちゃうから、アシタカの出自である蝦夷について調べつつ、エボシの武器である鉄砲についても調べていく方針。あと、今回は買っていないが当時の製鉄技術についての本も欲しいところ。ただし値がはるので図書館やな…。

偉大なる社畜、偉大なる老後、淡海三船の生涯。


!!!OHMI-NO-MIFUNE!!!

なんともさみしげな背中のこの男、名を淡海三船(722〜785)という。
天智天皇のやしゃご、大友皇子のひ孫にあたり、やったことがデカい割には知名度が低い。

淡海三船神武天皇から元正天皇までの43人の天皇(弘文と元明は除く)に漢風諡号という中国に倣った諡号を追贈したことで知られる。もちろん昔の天皇にも"名前"はあったが、彼の手によって全員"改名"させられたのだ。今日僕たちが呼んでいる神武なり雄略なり推古なりの名称はコイツによって付けられたと考えるとその業績は凄まじく大きい。



そんな淡海三船が付けた漢風諡号を見ると妙なことに気づく。
斉明以前(〜661年)と次代の天智以後(668年〜)で諡号のグレードが変わるのだ。

斉明以前は「いい名前」で天智以後は「すごくいい名前」になっている。
もう少し具体的に言うと、諡号を構成する二文字の諡字の組み合わせが違う。「まぁまぁの字+いい字」から「いい字+いい字」に変化しているのだ。

詳しくはコチラのURLを参照→http://www.toride.com/~sansui/posthumous-name/sigo01-2.html

ここで一つ疑問がわく。

天智の次代の天武(673年〜)からはいわゆる「天武系」の天皇が続き皇室の血統が変わるのだが、なぜ天武の仇敵大友皇子のひ孫である淡海三船が天智系に比べ天武系に良い諡字を使ったのか? 漢風諡号の創始事業は淳仁から称徳の治世にかけて行われた(『ブリタニカ大百科事典』によると762年〜768年にかけて)。二人とも天武系である。とすると、淡海三船は天武系を持ち上げるように強制されたのではないか?



この疑問から一つの仮説を打ち立ててみた。
「漢風諡号の創始は天武系を正統化する事業の一つだった」という仮説である!どや!
(以後↑を大前提に書く)

天武系の正統化事業として国史の編纂が挙げられるが(元明の治世に『古事記』『日本書紀』として完成)、漢風諡号の創始もその一つと僕は考える。

天武天皇の代から中国に倣う政策がバンバン出されてたことは日本史上でも注目に値する。国史の編纂以外にも、律令の編纂や藤原京の造営など天武天皇を境に日本は急速に中国化していった。漢風諡号もその一環であり(漢風とは当然ながら中国風を意味する)、血統の正統化が目的と考えるのが自然であろう。

なぜならば、そもそも前代全員の諡号を与えること自体が「俺たちは前代全員に影響を及ぼすほどの力を持っているんだぞ」と主張していることに変わりないから、というのが一つ。さらにそれだけでは飽きたらず、天武系を相対的に持ち上げる諡号を制定したことは正統化の決定打と言えよう(これが本国中国ならば紂王や霊帝などあからさまな諡号となるが、日本は天皇による万世一系の統治であり放伐という思想自体がないため相対的な持ち上げ方となっている)。



しかし、またもや疑問がわく。二点わく。
一つは、なぜ天武が皇統を簒奪した天智天皇には「天智」というすごくいい諡号が与えられたのか?
二つは、なぜ天武の仇敵の子孫である淡海三船にこの大事業の責任者としたのか?

一つ目の疑問に関しては、天智=悪い諡号という説もある。しかし、どちらの説を採るにせよ僕が導き出したい結論は同じなので、せっかくだから一応そちらも紹介しておく。ということで、善or悪かで場合分けして考えたい。

  • 天智=善 説

天智は先に引用したリンクによれば良い諡号ということになっている。

ではなぜ天武系が天智天皇にいい諡号を与えた理由を、天智と天武で対にさせ「あたかもスムーズに皇統が変わったと見せかけるため」「簒奪の事実を隠すため」と僕は考える。つまり、天智は特例でありフェイクなのである。

反逆者一族という看板を背負い肩身の狭い思いをして生きてきた淡海三船は、この二枚舌に義憤を感じたことだろう。時は淳仁の治世、672年の壬申の乱から100年近くが経っている。もうあの出来事の記憶は薄れている。その時になって天武系はあたかも皇統の簒奪など無かったかのようにしたのだ。それでも自分には敗れ去った一族の血が流れている。こう考えると、「天智」という"素晴らしい"諡号を思い付いた時にあっても、淡海三船の心の奥底では激しい怒りがこみあげていたに違いない。

  • 天智=悪 説

この説は森鴎外が『帝諡考』の中で取り上げている。以下かいつまんだ引用。
(詳しく知りたい方は井沢元彦『逆説の日本史2古代怨霊編』を参照して下さい。鴎外をさらに詳しく引用してます。)

天智と天武は対になっている。天智の智は確かにいい諡字ではあるが殷の紂王ゆかりの字であり、対する天武の武は紂王を滅ぼした商の武王に由来するものである。よって天智は悪い諡号、つまり天武系の正統性のために付けられた諡号である。

とするならば、天智という諡号は歴代屈指の悪い諡号ということになる。

そんな名を天智天皇のやしゃごである淡海三船が付けたとなると、ここまで行くと「淡海三船による一括ネーミング自体が嘘」という線も出てくるが、これを採ると今まで書いたことを全て吹き飛ばしてしまうので、僕としては別の考え方を採り話を進めていく。

それは、「淡海三船は先祖を貶める事業を無理やりやらされた」という解釈である。淡海三船は無理やりひぃひぃじいちゃんの天智を貶める作業をさせられたのだ。さぞかし辛かったであろう。

以上、天智が善であろうが悪であろうが、漢風諡号の創始事業は淡海三船の本意とするところではなかったということだ。しかし、朝廷の命には逆らえない。やりたくないことを仕事だからと割り切って仕方なくやる、彼は現代で言うところの社畜のような存在と言えよう。



少し長くなってすみません。正直大したことではないのだが、次の疑問を見ていこう。
なぜ淡海三船が漢風諡号の選定者に選ばれたのか?

諡号事業=天武系の正統化」という仮説を元にするならば、何も彼でなくてもよかったのではという疑問が残る。
その答えとして以下の二つが考えられる。

一つは、淡海三船に"転向"を迫るため。天智系の直系である彼を無理やり寝返らせるために起用したのではないか。
二つは、淡海三船以外に適任者がいなかった。彼は我が国最古の漢詩集『懐風藻』の編者とも言われ、中国の故事に精通していたと言われる。となると三船より他に"漢風"諡号を選ぶ適任者はいなかったのではないか。

一つ目を採るならば、正統化事業は人選においても正統化の目的があったことになる。
二つ目を採るならば、淡海三船は"敵"にすら認められるほどの才覚の持ち主だったことになる。まるで戊辰戦争で賊軍として戦った榎本武揚立見尚文が、その才能を惜しまれ維新政府から異例の抜擢をされたような格好だ。

ぶっちゃけ、どちらであろうと、どちらでもなかろうと、どちらでもあろうとよい。繰り返すが、淡海三船が漢風諡号の選定を引き受けたのは、天武系政権下で生き残るためには仕方なかったことだからだ。

彼の苦悩はこの事業以外でも見て取れる。たとえば事業着手の約6年前、三船は朝廷を誹謗したとして禁固刑を受けている。とすると「これ以上天武系には逆らえまい」として、漢風諡号の制定という本意ではない仕事を引き受けたのではないだろうか。というより引き受けざるを得なかった。やはり、生き残り策だったとしか考えられない。なんて不憫なんだ…!



しかし、突如として淡海三船の逆運の人生が一気に開ける。

770年称徳天皇が後継者がいないまま急逝し、天智系の光仁天皇が即位した。
予期せぬ政局の変化に三船は歓喜したことであろう。ようやく自分の血統にスポットがあたったのだ。

ここから天智系の巻き返しが始まる。まず注目したいのが、光仁の光。
後漢創始者光武帝を見れば分かるように、光の諡字には「新たな正統性」という意味が込められている。つまり、"天智王朝"の復活を高らかに宣言したのだ。

淡海三船の巻き返しも特筆すべきだ。
彼は光仁天皇の下で新たな国史の編纂に取り組む(後の『続日本紀』とされる)。今度は打って変わって天智系の正統性を訴える事業に乗り出したのだ。さぞ痛快だったことだろう。

天智系なばっかりに才覚があったばっかりに、世知辛い渡世を強いられた淡海三船は、その晩年にようやく"正統性"を得た。まさに人生9回裏の名誉挽回。素晴らしい老後だったに違いない。781年に逝去。享年64。

アシタカは蝦夷、ということでまずは蝦夷について調べてみる。

ところで、蝦夷で史上最も有名なのは誰か?といえば、まぁ阿弖流為だろう。

阿弖流為に関する書籍は多く、蝦夷そのものについても併せて言及した作品も少なくない。

そんな阿弖流為ひいては蝦夷研究の入門として高橋克彦歴史小説『火怨』を選んだ。理由は、『日本史はこんなに面白い』での半藤×高橋対談が面白く高橋克彦という作家が気になったから、はじめは小説で楽しく学びたいと思ったからである。

火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫)

火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫)

日本史はこんなに面白い (文春文庫)

日本史はこんなに面白い (文春文庫)

小説とかフィクションじゃんwwっていう反論もあるかもしれない。
しかし!
歴史小説を単なる史実を元にしたフィクションと侮るなかれ。
歴史小説は新説を紹介するエンタテインメント論文である。どや!

確かに書いてあることまるごと信頼に足る新説かと言われれば、もちろん違う。
しかし、どの部分が小説という体裁を取るために織り込んだ脚色かは、およそ分別があれば明らかに分かることだ。


さて、高橋克彦の『火怨』における蝦夷論はというと以下のようなものであった。

大和朝廷に追い出され差別を受けた蝦夷が、蘇我氏との政争に敗れた物部氏と手を組むというのが何とも興味深い。

それはともかくとして、この小説、一貫して蝦夷目線で書かれているのがまことに斬新であった。かつてこれほどまでに蝦夷を人間的に描いた物語があったであろうか…!?

中曽根康弘よろしく「日本は単一民族国家」だという考えが無意識の内に今日の僕たちにも刷り込まれている。
しかし、遥か昔には大和民族に弓を引いた民族がいたという事実を『火怨』はあらためて教えてくれる一冊であった。

完成までの計画 と軍資金

資料集め

原稿作り

ウェブサイト作りのお勉強

ウェブサイト作って完成・3月予定

(この間、もののけ姫を観まくる!)


こういう手順を踏む予定。
どの過程にどれほどの時間を割くかは臨機応変に決める。

そしてこの工程に必要な軍資金は懸賞で当てた商品券33,000円。

ということで商品券をすぐさま金券屋で換金し、まずは資料にあてる。ひたすらAmazonで買いまくる。
Amazonは中古を漁れば絶版も手に入る上にすごく安いのが魅力。一冊1円〜300円で良本が手に入るからね。

しかしながら、アニミズムはある程度は本でまかなえても、蝦夷自治都市については関連書籍が少ない…
実地調査も辞さない覚悟で調べるぞー!観光にもなるし!