目に余る「重商主義」の誤用

日本史の文脈の中で「重商主義」ほど誤用されている経済用語はない。

重商主義を採った人物として"有名"なのが織田信長徳川宗春徳川宗春尾張藩主で、徳川吉宗の緊縮財政(享保の改革)に対抗し、ぜいたく奨励の放漫財政を採ったことで知られる。(ためしに「織田信長 重商主義」「徳川宗春 重商主義」でggってみるといい。そりゃもうたくさんHITする)

この2人は、農本主義が根強い時代にあって商業振興政策を促進させたという点で共通する。農業の時代にあって"商"業を"重"視したから、重商主義と言いたいのだろうか。

しかしハッキリ言っておくが、織田信長徳川宗春も断じて重商主義ではない。
そう評する人はこの経済用語の意味を全く理解していないのだ。

重商主義とは本来、貿易差額によって国富を増大させることを言う。簡単にいえば、貿易黒字を目指すということだ。

なので、徳川宗春が生きた鎖国時代では重商主義の概念すら起こり得ない。織田信長は対外貿易をしたが、楽市楽座などの商業振興政策は、あくまで日本国内で完結するものであり貿易とは直接的な関係はない。

さらに言えば、重商主義を自由な経済といったニュアンスで捉える人も多いが、これもまた間違いである。意図的に貿易黒字を目指すということは、貿易を統制することに他ならないからだ。これについてはアダム・スミスなど著名な経済学者が批判している。何なら重商主義への批判が経済学の端を切ったとも言っても過言ではない。


ということで、重商主義の誤用と正しい使い方についてでした。
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